2013年12月31日火曜日

風曜日奮闘記その(13)夢は摩周湖のほとりから

独立へのギアチェンジ(5)~49歳
トップ゚ギアに入りました。「職務規定違反と新聞掲載」

 勤めていながら別の仕事をすることは、職務違反になるのだそうです。確かに丸の内界隈で営業をしながら、資金調達を行っていたのだから追求されても致し方ありません。

どうして会社の知るところとなったのか?ですって!
それは、1998年1121日(土)釧路新聞に「車いすのまま宿泊可 弟子屈にピュア・フィールド風曜日 三木夫妻が来春オープン」という記事が掲載されたからです。


23日(月)、普段通り出社するとなにか周りの雰囲気がおかしい。
皆がジロジロと私を見ているようだし、中にはニコニコ顔で遠くから手を振っている仲間もいるではないですか。
机に向かいパソコンのスイッチをいれたその時、待ち構えていたように電話が鳴りました。

「アー 三木さん。こちら人事部だけど、ちょっと来てくれませんか。部長室まで・・」と人事担当者の声。
何ごとかと思って部長室に入ると、新聞のコピーを手にした課長が座っているではないですか。そして、心配そうに「退職金が出ないかもしれない」と告げられたのです。
理由は職務規定違反。
当然、退職金も建設資金に使う予定です。
 それがないとなると一大事。せっかく妻と一緒に積み上げて来た計画が根底から狂うことになります。
 以前、会社の新規事業部に風曜日構想を提案し、採用されなかった事や、計画の進捗状況などを説明するうちに、とりあえず人事部長まで顛末書を提出することになりました。

翌日、徹夜で書いた顛末書を提出すると、すぐに部長から連絡が入りました。
不安な気持ちイッパイで面会に臨むと、「今回のことはこの顛末書提出だけで済むように処理します。新しい事業、是非頑張って下さい」と励ましの言葉を投げかけられたのです。
勿論、退職金は無事支給され、それどころか小さなホテルに不相応な性能をもつコピー機とファクスを長期間無償貸与してもらえる事にもなり、更に社内報にも風曜日構想が紹介されることになったのです。

27年9か月の間お世話になった会社であり、自分の中ではやりがいや生きがいを感じていた会社です。辞める理由などありません。
「なんで会社を辞めるのか。何か悪いことでもしたのか」、先輩や仲間からよく言われました。

でも、見てしまった。聞いてしまった。感じてしまった。おまけに新聞にも出てしまった。もう仕方ない。
「一期(この世)は夢よ、ただ狂え!」

 誰がいった言葉か知りませんが、もうグチャグチャ考えずに、清水の舞台から飛び降りたのです。

 2013年も今日で終わりです。連載にお付き合いいただき誠にありがとうござました。
 それでは皆様 良いお年をお迎えください。
 来年もがんばりま~す。

2013年12月26日木曜日

スロープの取り付け交渉 (2)

交渉は思いのほか簡単に終わりました。
支店長さんに面会を申し入れ、訪問の目的を話と
「大変すばらしい提案。私も前々から気になっていました」
「さっそく本社に連絡し、前向きに対処します」との回答を得たのです。

気になっていたらなんでもっと早く・・、などのヤボな突っ込みはこの際止めにして、急な訪問にも関わらず真剣に話を聞いてくれた事にお礼をいい、店舗をあとにしたのです。

UDのまちづくりに反対する人は居ません。
皆、関心を持っているのですが、なにから取り組んでいいのか判らないだけなのです。

「スロープの取り付けはいつやるのですか?
                     ・・・・・・それは今でしょう!!」

取り付けが完了したら、またお知らせします。


2013年12月25日水曜日

スロープの取り付け交渉(1)

 町内には金融機関の出先が3店舗あります。
 今回交渉しようとする店舗にはバリアフリー対応の最新ATMが設置され、毎日多くの住民が利用しています。
 でも、その店舗の玄関入り口には高さ10センチほどの段差があるのです。



 歩行困難者や車椅子利用者にはとても使いづらい環境です。
 せっかくの最新ATMも生かされていないように思えます。
 いつもは住民サービスを最優先する事業所ですので、何か特別な理由でもあるのでしょうか?

「ヨーシ!スロープを設置するよう交渉して見るか。UDのまちづくりにもなることだし・・」



2013年12月16日月曜日

風曜日奮闘記その(12) 夢は摩周湖のほとりから

独立へのギアチェンジ(4)~49歳
やる気99% ふんぎりが・・。 「妻のひと言・資金協力」
          
福祉の世界など全く知らない私です。なにしろ授産施設を「何らかの事情でお産が出来ない女性が通う施設」と思っていたほどですから。
そんな程度の知識しかない私が、UDのホテルなんて運営できるはずがありません。  
妻の協力が必要なのは、火を見るより明らかです。
ところが妻は、私が会社を辞め、事業を興すのは勝手で、ご自由にどうぞ。気候がいいときに遊びに行くから、というぐらいにしか考えていない節があったのです。
「いってらしゃい」といった感じです。
私を福祉の世界に引っ張り込んだくせに・・。

そんな思いを抱いていたある日、思い切って尋ねました。
「本当に私と一緒にやる気はあるのか」と。
すると彼女はきょとんとした顔をして、「なにいってるのよ。資金がまだ足りないから、なんとかして・・」
と言い放ったのです。否、言い放ってくれたのです。
その一言で頭の中のもやもやは一挙に消滅。
代わりに妻の思いに答えるため、ふたたび資金調達作戦を展開することにしたのです。

私の退職金や貯金を入れても、当面の運営資金を考えるとまだ資金が足りません。
そこで、風曜日構想への賛同者に対し事業説明会を開催し、資金援助をお願いすることにしたのです。

ある平日の夜、東京青山の小さな貸会議室。
明るい照明の下、7~8名の女性を前にして説明会を開きました。
集まった女性達は、IBMや日航、伊勢丹、ゼロックスなど、大手企業に勤めるキャリアウーマンたちです。社会貢献や新規事業など企業の社会的価値を創造するセクションのメンバーがほとんどでしたが、ひとり役所に勤める女性がじっと話を聞いてくれていました。
なんと、その女性は難事件に巻きこまれても見事にそれを乗り越え、2013年厚生労働事務次官に就任された村木厚子さんだったのです。
その時の出会いが、20年近く経た2012年6月3日、弟子屈町に彼女を招き「支える、支えられる」と題する講演会を開催することに繋がるとは、夢にも思わぬことでありました。

一通りの説明が終わると、次々に意見が寄せられ、
「夢があってとても楽しい」
「ボランティアの人にも聞かせたい話だわ」
「同じことを考えている人を知っているから、是非相談するといい」
「このホテルは、いろいろに発展して可能性がある」
「私たちも年取ったらよろしく」
など、否定的な意見は一切出ませんでした。
反面、次に開催した事業説明会には、男性ばかりです。
意見としては、
「あっ! この手の事業は補助金がなければだめだ。リスクが多すぎる」とか、
「市場調査はやったの? そんなこともやらずに、こりゃ無理だ」とか、「競合他社の動向は?」とか、ネガティブな発言ばかりが噴出したのです。
この違いは何なのでしょうか?

出席した女性から、資金提供の申し出をいただいたことはいうまでもありません。

 こんなに支援を受けてもまだグジュグジュ考えているのかよ。                          お前は。ッタク!!