2013年6月22日土曜日

愛宕社建立10周年

明日はいよいよ当館の神社「愛宕社(あたごしゃ)」建立10周年の記念祭を執り行います。
今日はその準備。
社の周りから参道に沿って草を刈り、鳥居をきれいに拭いてからお客様を迎えるのです。
部屋からは明日のための練習でしょうか「笙」と「笛」の音が聞こえてきます。
清掃前の愛宕社
アッというまの10年でした。

どうして「愛宕社」が当館に建立されたか、いつか連載「風曜日奮闘記」で紹介しょうと思っています。

2013年6月15日土曜日

食材調達で春を実感!!

 長い冬が終わり、春になったと思ったら山菜採りのシーズンを迎えます。
 よく山で熊に襲われるニュースが流れるのもこの時期です。

 当館の前を通る「道々52号線」(別名:摩周道路)は私の散歩道。お客様を迎える前の15:00ごろブラリとでかけます。
 摩周湖に向かう一本道ですので車の往来は多いのですが、まったく気になりません。
というのは、この道路の両脇にはワラビが生えており、その収穫に気が向いてしまうからです。
 30分ぐらいの散歩で、片手では持ちきれないほどの量が採れます。
 勿論、夕食の一品としてお客様に食べていただいています。

 この時期だけの食材調達です。春を実感する瞬間です。

摩周岳には熊が居ますが、この辺で熊出没の話しは聞いたことありません。


2013年6月14日金曜日

風曜日奮闘記その(8)「夢は摩周湖のほとりから」


ところで、この奮闘記の中では障害者を「たま障」(たましょう)と表現し、健常者を「いち健」(いちけん)と表現することにします。

障害の「害」の字に何か引っかかるものを感じます。それは私だけではないらしく最近では「障がい」と表記されているようですが「害」が「がい」になってもあまりすっきりしません。
そこで何かいい表現はないかと考えたのが「たま障」と「いち健」という表記です。
車椅子「たま障」と「いち健」

障がいを持ちたいと思っている人は誰も居ません。何かの理由でたまたま障がいを持つようになったから、略して「たま障」。 
 

いずれ人間は年齢を重ねると「たま障」となります。
今は一見健康なだけではないでしょうか。
ですから略して「いち健」といたしました。
 

従って車椅子利用の障がい者のことを車椅子「たま障」、ツエを使っている方はツエ「たま障」と表記します。


この単語は私の造語です。いろいろご意見もあると思いますがご了承下さい。

2013年6月4日火曜日

やっとお花見が・・・・。

6月1日原野摩周自治会(会員数17戸)のお花見会が、自治会館前で開催されました。
いつもより10日も遅いお花見です。
ほとんどは酪農家の皆さんです。今は一番草を育てる忙しい時期ですが、子供から大人まで多くの出席があります。

その時の会話から・・、
「今年は寒くて草の生えぐわいが心配ですね」と尋ねると、
「ナ~ンモ心配ない!! 7月に入りゃ気温が上がる。そしたら1日に3㌢も伸びる。いつもの事ダ!」と答えてくれました。
毎年異常気象だと騒いでいる私たちと違って、開拓50年の経歴を持つ農家さんの言葉はどこかちがいます。

さて、今年も農家さんに生牛乳をもらいにいきます。甘くてサラットしていて、しかもコクがある絞りたてミルク。
でも、このミルクはお客さんに飲んでいただくことはできません。ホントデス!
保健所から厳しい「お達し」があるのです。ウソデハアリマセンヨ!
身内で飲むのはいいんだそうです。ミウチデアレバ・・・。

2013年6月2日日曜日

風曜日奮闘記その(7)「夢は摩周湖のほとりから」

資金調達作戦(6) ~1998年


NHK大河ドラマ「天・地・人」。
サラリーマン人生と重なって毎回欠かさず見ていました。
それによると作戦が成功する三要素、それは「天の時」「地の利」「人の和」だそうです。
そのことに当時の状況を当てはめてみてみると、
「天の時」とは、高齢化社会の到来が眼前に迫る中、北海道観光にも新たな視点が必要になってきていると認識されていること。
「地の利」とは、北海道は常に人気ナンバーワンの観光地であり、摩周湖のある弟子屈町には多少の地縁があり、知人も多くいること。
「人の和」は不思議なことですが、背中をポンポンと押してくれるような人が次々と現れてきたことです。


 ・・提示された三条件をどのようにクリアーしたか、ですって?

法人格の取得は株式会社より手軽に設立することができる有限会社を設立することにしたのです。手続きも簡単であったし、毎年の株主総会も必要ありません。貯金通帳に300万円のお金があればそれで設立できたのです。その金額が通帳に記載されていれば、見せ金でもよかったのです。

三年以上の経験条件がクリアーできたのは、「人の和」が働いたのかもしれません。ある人から「三木さんには以前から宿泊業を営む親類がいますよね、その人を役員に向かえることで良いのではないでしょうか」との見解が示され、それが採用されたのです。
この条件変更みたいなことは法律用語(?)で「読み替え」という手法だそうです。「なんのことはない拡大解釈ではないのか」と今でも思っていますが、とにかく救いの手がさしのべられたのです。

そして問題は最後の条件である年度末の1999年3月31日までにホテルを完成させなければならないことです。

~あと11ヶ月、やるしかない!!  で、いつやるの? 今でしょう!!~